パナマハット(パナマ帽)ができるまで
伝統のパナマハットが完成するまでの工程は、その全てが手作業。熟達した職人の手により様々な加工が施され、完成に至ります。ここでは、そんな本格的なパナマハットができるまでの工程とパナマハットの街・クエンカをご紹介いたします。
パナマハット(パナマ帽)ができるまで
パナマハットの歴史
パナマと名が付くパナマハットですが、実は、南米エクアドルが起源の帽子です。
その歴史は数世紀前まで遡ります。赤道付近に住むエクアドルの人々が被っていた、トキヤ草によって編まれた帽子がパナマハットのルーツといわれています。
16世紀になると、スペイン人が現在のエクアドル地域に上陸します。以降スペインによる現地の支配が続く中、この地に息づく伝統的な帽子とスペイン文化が融合することで、現在のような形のパナマハットへと進化していきます。
赤道の強い日差しを避けるため、入植者たちの間でパナマハットの需要は伸び続け、やがて大規模な生産が行われるようになっていきました。
1900年には、パリの展覧会にてデビューを飾ります。そして20世紀に入り、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領がパナマ運河訪問時にこの帽子を着用したことで、「パナマハット」の愛称で世界的に知れ渡るようになりました。
こうしてパナマハットは、夏のファッションアイテムとして、世界中で愛用されることとなったのです。
パナマハットの原料
本格的なパナマハットは、トキヤ草の葉を細く裂いた紐を編んで制作されます。
トキヤ草が用いられた伝統的なパナマハットは「本パナマ」と呼ばれ、他の草を使用したものとは区別され、別格として扱われます。
トキヤ草はエクアドル原産の植物で、扇形に開いたユニークな葉をもちます。標高800m級の山に開墾された農場で大切に栽培され、柔らかい草の内側のみがパナマハットの原料として用いられます。
柔らかい内側のみを裂いて束にしたトキヤ草は、大鍋で茹でられます。この作業はなかなかの重労働です。こうして茹でられたトキヤ草の束は、吊るされて乾燥を待ちます。この乾燥も自然の力のみを利用します。
オメロオルテガのパナマハットは、全てが職人による手作業・手づくり。加工に非生分解性のものは一切使用されないのが特長です。
パナマハットの編み込み
トキヤ草の乾燥を終えたら、編み込みの工程に入ります。
トキヤ草は元来、均等な素材ではないため、機械で編むことができません。帽子製作は、全て職人の手作業で行われます。
特にグレードの高いパナマハットは、細いトキヤ草を非常に細かく均一に編み込むため、熟練の職人でなくては作れません。
素材が細く、本数が多くなるほど、パナマハットのグレードは高くなります。密度も細かくなり、耐久性も上がります。
本格的なパナマハットは、1つ仕上がるまでに何ヶ月もの時間を要しますが、こうした丁寧な加工により、仕上がりはまるで布や皮のように滑らかで美しいものになります。
パナマハットの漬け込み・成形
編み上げられたパナマハットは、大鍋で漬け込まれ、脱色または染色の加工が施されます。染色は、繊維の段階で行われる場合もあります。
ちなみに、ホワイトのパナマハットを作るためには、硫黄を含んだ液で数日の時間をかけて脱色されます。
脱色・染色の後、天日干しが終わると、最後に成形が行われます。型にはめ、手作業で形を整えていきます。
最後に、ベルトやリボン等の装飾品を付けて完成です。
パナマハットの完成
様々な手作業での工程を経て、ようやくパナマハットが完成します。
エクアドルの伝統的な職人技によって生み出される本格的なパナマハットには、“芸術品”と言っても過言ではないほどの魅力が詰まっています。
ぜひご自身の目で、手で、その品質をお確かめください。
パナマハットの街、クエンカ
トキヤ草またはパナマソウとも呼ばれる植物の葉を細かく裂いた紐で編まれる帽子「パナマハット」。この帽子の発祥の地は南米エクアドルです。中でも有名なのが、中南部のクエンカという古都。パナマハットの製造はこの町を支える重要な産業のひとつになっています。
歴史ある町、クエンカについて
クエンカはエクアドル中南部の都市で、南米大陸を南北に貫くアンデス山脈の谷に位置しています。標高は約2,500mと高地にあり、平均気温が15度前後と年間を通じて涼しいのが特徴です。
アンデス山脈中の谷にあたるような特徴的な地形は、二つの川が長い時間をかけて創り出したもの。
中世には、こうした天然の要害を活かした城壁が多く築かれます。そして堅固な防御力を背景にして、城塞都市として栄えました。
またクエンカには、丸石で舗装した道路や、塔のある教会など、スペイン植民地時代の建造物や街並みが多く残っていることでも知られています。こうした歴史的な建造物が状態よく保存されていることから、1999年、クエンカはユネスコの世界遺産に登録されました。
エクアドルの歴史
パナマハットの母国、エクアドル。
現在のエクアドルがある南米の西岸地域においては、15世紀半ばにインカ帝国が急速に勢力を拡大しました。また同じく15世紀にはスペイン人が上陸します。当時、皇位継承権争いなどで混乱していたインカ帝国は、スペインのフランシスコ・ピサロに攻められ、滅びることとなります。
スペインによる征服がはじまり、植民地支配が進むと、国外から持ち込まれた疫病や、ミタ制による酷使により、インディオ人口は大きく減少していきます。
一方、1810年代に入ると、コロンビア共和国と現在のアルゼンチンであるリオ・デ・ラ・プラタ連合州が主体となって、南米各地の解放が進められていきます。北のベネスエラ、南のリオ・デ・ラ・プラタ連合州から解放軍がエクアドルに迫り、各都市は独立を宣言します。
1822年の戦いで、ついにスペイン軍は敗北し、現在のエクアドルとなっている地域が最終的に解放されることとなりました。
解放されたエクアドルは、コロンビアの一部となりますが、1830年にコロンビアからの独立を宣言。こうして、パナマハットの母国・エクアドルは誕生したのです。
クエンカの人々とパナマハット
歴史が息づく街、クエンカ。その主要な産業の一つとなっているのが、パナマハットの製造です。
クエンカやその周辺の町においては、多くの人々が帽子づくりに携わっています。
本業であったり、副収入のためであったりと違いはあるのですが、パナマハット作りは、最も身近な産業として人々の生活の一部となっています。
パナマハットの主要な素材となるトキヤ草の紐は、クエンカやその周辺の町の、あらゆる風景のなかで編まれています。
材料となるトキヤ草をもって歩きながら、家族や仲間と話しながら、果物を売りながら・・・。
ゆったりとした生活の中で、楽しみながら仕事をする。そんな人々によってパナマハットは作られています。
こうして編まれたものは、熟練の職人の手に渡り、仕上げられていくのです。